月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年5月22日(水)

エゼキエル25章 罪と裁きの果てに

「わたしは、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する。わたしが彼らに仇を報いるとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル25:17)

 25章からは、諸国民への託宣がそれぞれに述べられています。いずれも、諸国民の滅びを告げる厳しい警告の言葉です。しかし、それは同時に将来のイスラエルの回復をも指し示すものになります。

 その中で繰り返し出てくるのは、「そのとき彼らはわたしが主であることを知るようになる」との言葉です。神の憤りや怒りという裁きを通して、このお方が主なる神である、と人々が知らされるということが、ここに語られています。

 私たちはどうでしょうか。私たちは、罪の弱さに向き合うとき、その中で、時に神からの痛みや苦しみを体験することがあります。

 しかし、それは、私たちが思いを新たにして主を知るための、つまり、信仰を新しくするための神の導きです。神は時に大きな痛みを私たちにお与えになりますが、そこには、それに勝る大いなる恵みがあります。

 私たちが主なる神を真実に知るため、神は私たちにイエス・キリストをお与えくださいました。私たちは、今日もただこのお方を仰ぎたいと思います。

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