月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年5月29日(水)

エゼキエル28章 神が与えてくださる安らぎ

「彼らはそこに安らかに住み、家を建て、ぶどう園を植え、安らかに住み着く。彼らを侮辱する周囲のすべての人々に、わたしが裁きを行うからである。そのとき彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知るようになる。」(エゼキエル28:26)

 イスラエルはかつて神の言葉に聞き従うことができず、罪に罪を重ね、神に裁かれ、自分たちの国を追われて外国に散らされました。

 しかし、主なる神は、ご自分の選びの民イスラエルを愛されます。ティルスやシドンへの嘆きの歌や裁きの言葉が語られる中で、24節からはイスラエルの未来のことが語られます。

 25節には、主なる神は諸国民に聖なるご自分を示す、とあります。聖なる神を示される、とはどういうことでしょうか。イスラエルを侮辱する諸国にくだされる神の厳しい裁きの中に、それが示されています。そして26節には、散らされた民が集められて「安らかに住」むと繰り返されています。侮辱する諸国民が裁かれ、罪の弱さの中にあるご自分の民が憐れみを受け、安らかに住む中に、神が聖であることが示されます。

 この聖なる主の御手の中で、罪人である私たちは心から安らぐことができ、信仰に立ち続けることができます。罪の大きな痛みや苦しみに呻いても、この聖なる主の守りの中で、私たちは赦された者として新しく生きることができるのです。

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