月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年6月28日(金)

ヨハネ1章 いま、そこにいます主

ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」(ヨハネ1:26-27)

 主イエスの先駆者となった洗礼者ヨハネが、まことのメシア・イエスを証言しています。この方の前で、自分がどれほど無価値であるかを、「その履物のひもを解く資格もない」という徹底した謙遜で表現します。

 主イエスを知り、この方に仕えることを、生涯の祈りとして歩む私たちにとって、洗礼者のこの謙遜は、単なる模範以上の意味をもっています。主イエスに仕える者は、自分を宣伝することから自由にされます。洗礼者が、自分を荒れ野で叫ぶ「声」(23節)と見なしたように。

 自分を低くする奉仕者にしか見えない主イエスの姿があります。「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」。私が知らない間に、主イエスは私の人生の隣におられた。それは私たち自身の経験ではないでしょうか。

 今は、幸いなことに私たちは主を信じ知っています。この世の人が「知らない方」を知っていただく伝道、知られない方を紹介する働きに、私たちが日々、さまざまな仕方で用いられますように。

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