月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年3月19日(水)

エズラ10章 悲しみの中にも希望あり

エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。…「わたしたちは神に背き、…しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。」(エズラ10:1-2)

 嘆かわしい現実の中で、あの人、この人を非難したり、評論家のように振舞ったりしやすい私たちです。途方に暮れるような中でエズラの示す姿勢は私たちへの深い問い掛けです。困難は別れ道を示しています。私たちは、どの道を通ろうとするのか。指導者エズラは、民の罪を自分自身の罪として受け止めています。涙ながらに神に告白します。それにしても罪深い神の民が本来の生き方を、どのようにして取り戻せるのでしょうか。霊的な回復は、どのようにして与えられるのでしょうか。

 エズラ一人が真実に神の御前に出ます。その悔い改めの祈りを神は聞いてくださいます。大人から子供に至る大会衆が激しく涙しました。霊的な回復は、教会の年間行事計画の実行で起こることではありません。しかし希望はあります。一人ひとりが真実に神の前に出て罪を告白し悔い改めるとき、神はご恩寵を備えてくださいます。主イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとして、あの十字架の上で裁かれたのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マコ1章15節)。

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