月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年4月19日(土)

ルカ23章 自分を救わないメシア

議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」(ルカ23:35-37)

 23章は、主イエスの十字架の死の場面を描いています。十字架刑は、ローマ帝国の処刑方法です。主イエスは、ユダヤの最高法院で、神の子と自称し、神を冒涜する者として断罪され、ローマの総督ポンテオ・ピラトの手に、民衆を惑わす者として引き渡されました。ピラトが「この男には何の罪も見出せない」と三度も主張したにも関わらず、主イエスは十字架につけられました。このようにして、主イエスは、犯罪人の一人に数えられたのです。

 議員たちは、十字架につけられた主イエスをあざ笑って、「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」と言いました。また、兵士たちも主イエスを侮辱して、「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言いました。ここで、共通していることは、「自分を救ってみろ」という言葉です。神からのメシア、救い主なら、先ず自分を救うのが当然だと彼らは考えたのです。しかし、そうではありません。主イエスは自分を救わないことによって、私たちを救ってくださるメシア、救い主であるのです。

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