月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年4月26日(土)

ヘブライ2章 苦しまれるからこその救い主

というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。(ヘブライ2:10)

 この手紙を書き送られた「ヘブライ人」は、キリストが救い主であることに引っかかりを覚えていました。完全無敵な存在には見えず、物足りなさを感じていたようです。

 しかし、十字架に至る数々の苦しみを経たキリストこそ、私たちを本当に救うのです。キリストは私たちと同じようになられ、憐れみ深い、忠実な大祭司として罪を償ってくださいます。キリストは試練を受けて苦しまれることで、私たちを助けることがおできになります(17、18節)。そして救われた一人一人を、共に天の神を父とする兄弟姉妹と呼んでくださいます。キリストは私たちのそばに寄り添い、最も適切に救いの手を差し伸べられます。そのために、キリストは私たちから遠いところでふんぞり返る道を選ばれませんでした。

 このキリストに救われた感謝として、私たちは神の栄光をたたえます。またキリストを命の源とし、キリストに似る者となることを目標として生きてゆくようになります。

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