月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年8月28日(木)

エレミヤ33章 主は我らの救い

「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(エレミヤ33:15-16)

 罪と反逆に満ちた都エルサレムのように、人間には、罪と悪行が満ちています。私たち人間は、神が怒りと憤りをもって打ち殺すに値する罪人です。ところが主はこう言われます。

 「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。…わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」と(6〜8節)。

 それほど憐み深い救いを、「ダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」ことによって実現すると、主は言われました。クリスマスの聖句が思い出されます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。「その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。

 その救いは、エルサレムから始まって全世界に及びました。「わたしは数えきれない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす」(22節)。これは、信仰の父アブラハムへの約束でもありました(25、26節、創15章)。

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