月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年1月15日(木)

ヘブライ5章 キリストの祈りにならって

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。(ヘブライ5:7-8)

 主イエスは、まことの神です。しかし同時に、まことの人間でもあられ、地上を歩まれたとき、主イエスは絶えず祈っておられました。父なる神との深い、親しい祈りの交流の中で、救い主としての任務を、一歩一歩、歩んで行かれました。

 主イエスの救い主としての任務完成は、私たちの罪の身代わりとして十字架で死ぬことでした。この大仕事は、父から見捨てられ、十字架の上で命を献げる、というものでした。できれば避けて通りたい道でした。しかし、父の御心に従って私たちを救うためには、避けては通れなかったのです。

 主は、この究極の大仕事を、私たちと同じ生身の人間として、祈りの格闘によって乗り切られました。その過酷さは、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら」と記されている通りです。

 主イエスの祈りの姿は、私たちの模範です。私たちは、父の御心に従うために、どれほど激しい叫び声をあげ、涙を流しながら祈っているでしょうか…。私たちが神から託された使命を果たすためには、祈りの格闘を避けて通ることはできません。

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