月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年1月23日(金)

ヘブライ9章 救いを待望するわたしたち

また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。(ヘブライ9:27-28)

 ヘブライ人への手紙では、キリストのいけにえの死は、一度限りのもので、罪を償う完全ないけにえだったと繰り返されます。26節では、キリスト到来の意味をこう語ります。「世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました」と。

 キリストの一度限りの完全な完璧ないけにえによって、罪は取り去られたのです。しかし、きょうの箇所では、今度は、罪の処理ではなく、救いをもたらすためにおいでになる、というのです。

 キリストの一度限りの完全完璧ないけにえにより、私たちは、罪の決定的支配からはもう解放されています。しかし、罪は、今なお私たちを苦しめます。

 そのような私たちを罪から解放させる救いの完成を携えて、キリストはもう一度到来されます。そして、罪から完全に解放された魂と復活の体とを私たちに与えてくださるのです。

 今なお残る罪と戦う私たちです。しかし、やがて与えられる救いの完成を待望しながら、約束された勝利を信じて、進軍します。

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