月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年4月4日(土)

マタイ27章 代わりに見捨てられた主

さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:45-46)

 永遠の初めから父なる神より生まれた御子が十字架上で苦しみ、大声で叫ばれる。これほどあってはならない出来事があるでしょうか。永遠の愛の交わりの中におられる父から捨てられたキリストの苦しみ、また、その恐ろしさは、いかばかりのものだったのでしょうか。未だ人類が経験したことのないものです。

 肉親から愛してもらいたいのに、愛してもらえなかった子どもの傷は、深刻です。その傷は、大きくなってもその人を苦しめ、生きづらくさせ、傷の痛みはなかなか消えることがありません。キリストの御苦しみと比べることはできませんが、実は、この痛みと悲しみの中に十字架が立っています。

 私たちが叫ぶべき悲しみを、主イエスが身代わりに叫ばれました。私たちも、主イエスと共にまた教会の仲間と共に、同じように神に心を開いて叫ぶことが許されています。それは、私たちの傷を主の御傷に当てさせていただくことです。キリストにより神との交わりを回復するとき、心のしこりはほぐされていきます。「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされ」るからです(イザ53章5節)。

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