月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年12月29日(火)

イザヤ64章 神を待ち望む

あなたを待つ者に計らってくださる方は
神よ、あなたのほかにはありません。
昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も
目に見た者もありません。(イザヤ64:3)

 捕囚が解けて、民がエルサレムに帰還する時代が、この箇所の背景と考えられます。一説では、紀元前538年に捕囚から解放され、同515年にエルサレム神殿が再建されるまでの期間が、ここでの預言の背景とされます。

 荒廃し手の付けようのない都に、人々の目が釘付けにされている様子を想像することができます。古いものは去り、新しいものは未だ再建されない、いわば空白の時代です。自分の存在の限りない軽さを嘆く痛ましい言葉も見られます。「わたしたちは皆、枯葉のよう」(5節)。恵みに根を下ろさない人生は、枯葉に等しい。この実感が、自分たちの「汚れ」と「悪」の自覚に結びついていることが重要です。預言者は、罪の自覚に欠ける民のため、深い嘆きと悔い改めを痛切に告白しています。

 自分で自分を救う道はないことが分かるとき、「あなたを待つ者に計らってくださる方は、神よ、あなたのほかにはありません」という嘆願と希望が真実となります。骨身に徹して自己の無力を知るとき、神を待ち望む信仰が希望を生みます。神を待ち望め!

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