月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年1月30日(土)

ルカ13章 悔い改めの時

「『もう3年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。…』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。…肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ13:7-9)

 「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と主イエスは二度繰り返し、そして、いちじくのたとえが始まります。悔い改めの時が迫っていること、悔い改めを我が事として考える必要を主イエスは私たちに語っておられます。

 ぶどう園の主人は植えたいちじくに実がなるのを楽しみにしていました。だから、「もう3年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ている」のです。このようにいちじくに関心を寄せ、忍耐強く待てど暮らせど実がならないので、切り倒すよう園丁に命じます。3章の洗礼者ヨハネの言葉が思い出されてなりません。「差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。…斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(3章7〜9節)。

 「木の周りを掘って、肥やしをやってみます。…来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください」。神の慈しみと厳しさを覚え、光あるうちに罪を認め、神の慈しみのもとに立ち帰りましょう。

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