月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年2月7日(日)

詩編124編 主がわたしたちの味方でなかったなら

イスラエルよ、言え。
「主がわたしたちの味方でなかったなら
主がわたしたちの味方でなかったなら
わたしたちに逆らう者が立ったとき
そのとき、わたしたちは生きながら
敵意の炎に呑み込まれていたであろう。」(詩編124:1-3)

 きょうは、もし「主がわたしたちの味方でなかったなら」ということを想定してみるようにと聖書は促しています。そうであったなら「わたしたちは敵意の炎に呑み込まれていたであろう」。「驕り高ぶる大水が、わたしたちを越えて行ったであろう」。

 意識されているのは、わたしたちの身近な人間関係です。「逆らう者」、つまり自分と意見の違う者が、炎のような「敵意」を向けてくる。自分としてはそれは「驕り高ぶり」としか思えないが、そういう人の言葉が「激流」のように自分を呑み込み、まるで息の根を止めようとするかのように自分を苦しめる。そういう現実の「餌食」になっていただろう。そのことを思ってみよ、と言われると、誰しも決して他人事ではない事態を思い浮かべることができます。

 しかし、そんな「仕掛けられた網」を破ってくださり、「わたしたちの魂」を逃れさせてくださった方。それは「天地を造られた」方だ。「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」。こんな筋道を思いめぐらしてみるように、聖書は、きょう、わたしたちを促しています。

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