月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年2月21日(日)

詩編126編 涙と共に種を蒔く

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。(詩編126:5-6)

 主が「捕われ人を連れ帰られると聞いて、わたしたちは夢を見ている人のようになった」とうたい出されています。つまり、この人は、そこから連れ帰ってもらえることは夢としか思えないような「捕われ」の中に閉じ込められてしまっているようです。しかし、その「捕われ」から連れ帰ってもらえるなら「わたしたちの口に笑いが、舌に喜びの歌が満ちるであろう」とか、「わたしたちは喜び祝うでしょう」と期待します。その期待が「主よ、わたしたちのために、大きな業を成し遂げてください」、わたしたちを「捕われ」から連れ帰ってくださいという祈りになりました。

 今、この人は、どんな「捕われ」にあるのでしょうか。「涙と共に種を蒔く」とか、その涙の「種の袋を背負い、泣きながら出て行った」とありますから、何か大きな悲しみに捕われてしまっているようです。

 しかし、そのような「涙と共に種を蒔く」人が、「喜びの歌と共に刈り入れる」ことができる。「泣きながら出て行った」人が、「喜びの歌をうたいながら帰ってくる」ことができる。そのことを主の「大きな業」といいます。

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