月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年3月4日(金)

ルカ14章 塩気を保ってこそ

「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」(ルカ14:34-35)

 主イエスの教えは、家族や自分の命を憎み、自分の十字架を背負ってついて来なければ、弟子ではありえないという厳しいものです。これは、一緒について来た大勢の群衆に語られたもので(25節)、物見遊山でついていけば弟子になれるという思いに釘を刺し、彼らをふるいにかける言葉です。

 この後に「塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか」と語られます(28節)。思慮深く、完成を目指し続ける決心も必要です。弟子になるために十分な費用とはどのくらいでしょうか。「自分の持ち物を一切捨てないならば、…わたしの弟子ではありえない」(33節)。

 そして、きょうの御言葉では、塩気がなくなることへの警告が語られています。これらの御言葉の厳しさは、弟子の自覚と喜びをもって主に従うことを、主が心から願っておられことを表しています。

 主イエスは、癒し、嵐を静め、わずかなパンと魚で5千人を養い、雀の1羽さえ忘れない神の慈しみも教えてくださいました。主のご配慮の中、主に従うことのできる光栄と喜びを保つことが、弟子の塩気です。

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