月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年6月16日(木)

ヨハネ11章 死んでも生きる

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)

 私たちは、涙ながらに神に訴えることが、時にあるのではないでしょうか。主よ、あなたがいてくだされば、こんなことにはならなかったのに。なぜここにいてくださらなかったのですか、と(21節、32節)。

 マルタとマリアの姉妹は、愛する兄弟ラザロの死を深く悲しみました。マルタとマリアも、彼女たちを慰めるために来た人たちも共に涙を流し、彼の死を悼みました。この涙の中には、人の力も、そして神の力さえも、死には打ち勝てないのだという諦めがあったのかもしれません。

 しかし、主イエスは、彼らと一緒に涙を流しながらも、死に対して真っ向から立ち向かわれたのです。そして、愛するラザロをよみがえらせてくださいました。

 私たちは、どれだけ涙を流しても、どれだけ叫んでも、死を命に変えることはできません。しかし、復活の主は、死んで終わることのない確かな命の喜びへと招いてくださるお方です。だから、どのような悲しみの中にも、主がいてくださることを信じることができます。そして、今日も生きる力と勇気が与えられています。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2016 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.