月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年10月30日(日)

マタイ4章 宗教改革の心(1)〜十字架に生きる

そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マタイ4:17)

 「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われたとき、彼は信仰者の全生涯が悔い改めであることを意味されたのである」。

 1517年10月31日、ドイツはヴィッテンベルク教会の門扉に張り出されたという『95箇条の論題』の第一論題は、右のような文章でした。この問題提起をしたのは、神学教授として聖書注解を始めて間もない一人の修道士、マルティン・ルターという人です。

 主イエスがお命じになった「悔い改め」とは、決して教会の儀式にあずかれば済むというものではなく、私たちが生涯自分の罪と格闘しつつ十字架に生きることではないかと、ルターは訴えました。

 この主イエスの言葉の前に、福音書は荒れ野の誘惑の記事を記しています。ルターの時代の教会は、まるで悪魔にひれ伏したかのように、御言葉を濫用してはこの世の栄華を求め、安価な「平安」は説くものの十字架が語られてはいませんでした。

 真の悔い改めと平安は十字架を信じ、十字架に生きることにある。それがルターの心に宿った確信なのでした。

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