月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年12月10日(土)

詩編119編(3) 苦難の意味

卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
あなたの口から出る律法はわたしにとって
幾千の金銀にまさる恵みです。(詩編119:71-72)

 どんな苦難も、その苦難そのものだけが、人を苦しませるのではありません。実はその苦難に意味が見いだせないことこそが苦しい、ということがあります。たとえ苦しくても、意味が見いだせるなら、耐えることができ、希望を失うことはありません。

 この詩編は、苦難の意味を語ります。それは苦難によって人が神の前に卑しめられることにあると言います。苦難の中でこそ、人は自分が無力な小さな者であることを知らされます。ここではじめて人は砕かれ、低くされます。ここでこそ神の前における自分とは何者なのかを見つめ、神を求める者とされます。そのようにして神の愛と慈しみを知る者とされます。

 「病まなければ
 ささげ得ない祈りがある
 病まなければ
 信じ得ない奇蹟がある
 病まなければ
 聴き得ない御言葉がある
 病まなければ
 近づき得ない聖所がある
 病まなければ
 仰ぎ得ない聖顔がある
 おお 病まなければ
 私は人間でさえもあり得なかった」
 (河野進牧師の詩)

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