月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年2月6日(月)

1ペトロ3章 正しいまことの人、イエス

キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。(1ペトロ3:18)

 神は絶対的に正しい方ですから、罪には償いが求められます。従って、私たちが救われるためには、私たち自身が自らの罪の責任をすべて負い、償うか、あるいは、正しい誰かが、私たちに代わって罰を受け、私たちの罪を全部償ってくれる必要があります。

 しかし、人には皆、生れながらに罪があるため、誰も他人の罪を償うことなどできません。ハイデルベルク信仰問答 問19は答えます。「神の義は、罪を犯した人間自身が、その罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできない」と。

 では、私たちには絶望しかないのでしょうか。いいえ、ここに福音があります!

 全く罪のない正しいまことの人、イエス・キリストが、地獄の刑罰ともいえる苦しみを、十字架で受けてくださいました。それは、ただただ私たちのためでした。「正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです」。

 御子イエスは、私たち罪人に代わって、苦しむために、まことの人となって世に来られたのです。何という主の愛でしょう!主よ、御名を賛美し、あなたを愛します。

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