月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年2月10日(金)

レビ1章 身代りの犠牲−イエス−

牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は…臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。(レビ1:3-4)

 レビ記の最初の数章には、人の罪の贖いを初めとして、動物犠牲についての規定が続きます。奉納者は無傷の雄を臨在の幕屋の入り口に引いていき、動物の頭に手を置き、それを屠り、祭司が血を祭壇の側面に注ぎかけるのでした。

 人が動物の頭に手を置くことは、動物への人の罪の転嫁を意味します。その後、それが屠られ、血が注がれることは、人に赦しが与えられることを意味しました。

 自分に代わって殺される無傷の動物の鳴き声!大量の血!自分の罪の償いのために、人は自分では何もなし得ず、他者の犠牲を必要とするという罪の恐ろしさ、また痛みを、強く覚えたことでしょう。

 実は、このような形で、神と人との間の唯一の仲保者、贖い主イエス・キリストの十字架の犠牲を、神は予め示しておられたのでした。ハイデルベルク信仰問答 問19が、キリストの死について「律法による犠牲や他の儀式によって象り」と言うとおりです。

 御子を「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1章29、36節)として遣わされる上で、ここにも驚くべき神のご準備があったのでした。神よ、御名を心からほめたたえます!

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