月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年3月15日(水)

ヨハネ15章 わたしはぶどうの木

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ15:5)

 聖書はここで、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」、すなわち、わたしを離れては「実を結べない」と言っています。どうして私たちはキリストを離れては実を結べないのでしょう。

 それは、私たち自身は貧しく弱い「枝」に過ぎず、自分自身の内にはいかなる命も、力も存在していないからです。いったいこの世のどこに、永遠の命が存在しているのでしょう。それはこの世の中には存在していません。ただ、私たちの主、キリストの内にのみ存在しています。私たちの主、キリストの内にのみ永遠の命が存在し、永遠の力と恵みが存在しているのです。

 なぜ、私たち自身が貧しくても、弱くても大丈夫なのでしょうか。

 それは、私たちの主、キリストが強く、あらゆる恵みに富み、主ご自身の内にあらゆる命と力と恵みが満ち溢れているからです。それゆえ、私たちはこの主につながって生きるとき、豊かな実を結ぶことができるのです。

 きょうも、この主に結ばれ、主と共に歩みましょう。この主と共に道を進み、主の命と恵みを届けましょう。

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