月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年3月21日(火)

ヨハネ1章 既に父を見ている

いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(ヨハネ1:18)

 店で買い物をしていて、品物を見ていて気づかず、手を伸ばしたそのとき、ばったり友人と会う。買い物かごを持っているので、ちょっと恥ずかしそうに挨拶して…、などということがあります。私たちは目でさまざまなものを見つつも意外とそのすべては見ていなくて、心を向けているものだけを見ています。

 人間と同じような姿や形をもたない神を目で見ることはできません。かつてモーセの時代、神の山ホレブで神が降ってこられたとき、全山煙に包まれ山全体が激しく震えるのを民たちは見ました。そこに民たちが見出したものは、神の恐ろしい姿だけで、神のまことの姿全体では決してありませんでした。

 主イエスが十字架につく前、父のもとに行くことを告げ、「父を知る。いや、既に父を見ている」と語られると、フィリポが「御父をお示しください」と願います。するとイエスは「わたしを見た者は、父を見たのだ」と教えられました。

 神は、震える山の様子でもなく、主イエスの顔や服装でもなく、主イエスの教え、その業、主イエスの存在そのものを通して、私たちにご自身を現されたのです。

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