月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年3月30日(木)

1ペトロ1章 小羊の血による生活

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。(1ペトロ1:18-19)

 神の子とされた私たちは、神の独り子であるイエス・キリストを「我らの主」と呼びます。このお方だけが、私たちにとって救い主だからです。

 財産や健康は大切ですが、それが私たちを罪から救うのではありません。私たちの罪深さは、何ものをもっても解決し得ないほどに深刻で悲惨なのです。神の独り子であるイエス・キリストの「尊い血」が流されるほどに、私たちの罪は重いのです。

 そもそも私たちが、私たち自身の主、神であろうとすることが罪の始まりでした。自分は自分のものである。皮肉にもこう認めれば認めるほど、私たちは不自由になっていきます。神に造られた広い世界、また、神のかたちに似せて造られた隣人が、見えなくなっていきます。

 伝統もそれがただ私たちを正当化するにとどまるなら、「むなしい生活」を生み出します。本来良いものであるはずなのに、それが形だけとなり、自己批判する力がなくなるからです。

 今この時、私たちの罪深さと共に、それゆえに流された十字架の御子の尊い血を思い起こしましょう。この小羊であるキリストが、私たちを導かれるのです。

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