月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年4月29日(土)

フィリピ3章 しかし本当は

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピ3:20)

 この聖書の言葉は「しかし」で始まっています。その前に語られた事柄を受けてのことです。その前に語られていたのは「腹を神と」することでした。食べることは大切なことです。個人の人生にしても、政治にまつわる出来事にしても、どうやって「食べる」「食べさせる」か、の問題という面があるのは否定できないのではないでしょうか。そして、それこそが現実的な事なのだと私たちはいつしか信じ込んでいるのかもしれません。

 しかし、とパウロは言います。それとは違う現実に私たちキリスト者は生きはじめている、そこに一緒に立とうというのです。その現実こそが、天の本国におられる主イエスと共にある歩みです。

 パウロはこの節のもう少し前の箇所(3章14節)で、自らを「目標を目指してひたすら走る」者としています。それは、自分の地上における今この時の生き方において、天の国というゴールを目標とし、常に主イエスとの関わりにあって前向きに生きる生き方です。

 私たちは、本当は天に本国を持つ国民なのだ、だからそのように生きていこうというのです。

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