月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年6月13日(火)

イザヤ64章 善き行いの脆さ

わたしたちは皆、汚れた者となり
正しい業もすべて汚れた着物のようになった。
わたしたちは皆、枯れ葉のようになり
わたしたちの悪は風のように
わたしたちを運び去った。(イザヤ64:5)

 私たちには、御言葉を読み祈ることによって、「きょうも一日主イエスと共に歩もう」との強い決心が与えられます。しかし、一日の歩みの中で予想もしないような出来事にでくわし、相手からの厳しい言葉によって、あっという間に、強い決心がどこかに飛んで行ってしまったりします。このように私たちの善い行いや正しいと思っている意志は、本当に表面的であり脆いものであることを痛感します。

 そして預言者イザヤもまた、「正しい業もすべて汚れた着物のようになった」と語ります。さらにその正しい業は、悪によって枯れ葉のように飛んで行ってしまうほどに軽いものだと語るのです。しかし7節で「わたしたちは粘土、あなたは陶工」と語ります。自分の脆さに留まっているならば、どこに飛んで行くかもわからない私たちです。

 そのような私たちを美しい形に整え、価高い器へと仕上げてくださる陶工、すなわち全能の神がおられます。

 この神の言葉に聴くとき、私たちは神の憐れみによって悔い改めへと導かれ、私たちの内に、新しい力がみなぎってくるのです。

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