月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年11月3日(金)

1ヨハネ1章 神の恵み深い厳しさは、わたしを日々変えてゆく

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。(1ヨハネ1:8-9)

 神の戒めはわたしに罪の自覚を与えてくれます。わたしは祈りに疎く、いつも心を焦らせてばかりいますが、「神を愛しなさい」という戒めが、その愚かしさに気づかせてくれます。わたしは隣人に冷たい心を向け、その言い訳を重ねていますが、「隣人を愛しなさい」という戒めが、そのずるさに気づかせてくれます。わたしに痛みも伴わせながら。

 神はご自身の厳しさとご自身の戒めに留まる大切さを、わたしの隣人を通して、礼拝の説教を通して、わたしに届けてくださいました。そこに神の愛がありました。神の恵み深い厳しさは神がわたしと共に在ろうとされる激しいご意志であることを、今、わたしは感謝して受け止めます。

 わたしに迫る神の厳しさについて、『ハイデルベルク』は教えます。「わたしたちが、全生涯にわたって、わたしたちの罪深い性質を次第次第により深く知り、それだけより熱心に、キリストにある罪の赦しと義とを求めるようになるためです」(問115答前半)。

 神の戒めを聞き続けるならば、わたしはきっと今より、自分の愚かしさと神の愛に気づかされるはずです。その力が、神の戒めにはあります。

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