月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年11月15日(水)

ヨハネ14章 父を知って祈る

「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネ14:7)

 私たちに教えられた「主の祈り」は、むなしい偶像の神にささげるお題目のように、早口で「となえる」ものではありません。主イエスによって示された父なる神に、聖霊によって導かれて祈るものです。

 とは言え、天の父なる神は霊であって、私たちの五感を総動員しても、私たちが霊なる神を知ることなど、到底できるはずがありません。

 しかし、主イエスは、私たちと同じ肉をとって、私たちの世界に来てくださいました。主イエスはご自身について「天から降って来た者」(ヨハ3章13節)とも、「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる」とも、おっしゃいました。

 ヨハネは、その手紙で「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(1ヨハ1章1節)として主イエスを紹介しています。手紙の受け取り手も復活の主イエスに、聖霊によって、手ごたえを覚えたことでしょう。

 私たちも、復活の主イエスに、聖霊によって、手ごたえを覚えるとき、主イエスは、ご自身により父なる神を知らせて「父を見」させ、祈りに力を与えてくださいます。

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