月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年12月4日(月)

マタイ7章 御心をあらわす者とされる

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ7:21)

 「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」

 私たちは、神の救いは、信仰によって与えられると確信しています。「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」と言われているとおりです(ロマ10章10節)。「善い行い」によって義と認められようとする試みは無意味なものです。

 けれども、主の名を呼ぶだけでいいのかといえば、そうではありません。主の名を呼ぶだけで何も変わらない人は、天の国から拒絶されると言われるのです。

 行いによって救われるのではありませんが、信仰には行いが伴います。主を信じ、その名を呼ぶ人は、罪を赦されて主と和解します。すると、主の御心が自分の心に宿ります。その結果として、御心を行う者となるのです。

 御心を行うために、何か一生懸命頑張るのでしょうか。そうではありません。救われること自体を神に委ねている私たちは、救われて御心をあらわす者とされることをも日々神に委ね、祈り求め続けるのです。日々御心を行う者とされていきましょう。

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