月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年1月27日(土)

イザヤ6章 イザヤの召命

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8)

 6章には、イザヤが預言者に召されたときのことが記されています。それは、ウジヤ王が死んだ年のことでした。主なる神がご自身の姿をイザヤの前に現されました。これは、出エジプト記19章18節と同様であることを示しています。

 それを見たイザヤは、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」と言います(5節)。罪深い人間は本来、聖なる神を見ることができません。

 そのときセラフィムが祭壇の炭火を取ってイザヤの口に触れ、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」と言いました(6、7節)。イザヤはそこで神の声を聞きます。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」。イザヤはすぐに応えました。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と。

 主はきょう、私たちにも同じ言葉を語られるのではないでしょうか。「誰を遣わすべきか、誰が我々に代わって行くだろうか」。

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