月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年2月19日(月)

イザヤ22-23章 喜びに浮かれることなく

騒音に満たされ、どよめく都
喜びに浮かれた町よ。
…お前たちは、都を造られた方に目を向けず
遠い昔に都を形づくられた方を
見ようとしなかった。(イザヤ22:2,11)

 生きていくうえで、「喜ぶ」ということは、とても大切なことです。喜びがいろいろな形で奪われてしまうこの世の現実の中に、神は消えることのない確かな喜びを与えてくださいました。この神に目を向けて生きることへと私たちは招かれています。

 ただ、信仰の喜びに生きるというのは、決して、喜び浮かれることではありません。浮かれてしまうと、どうしてもひとりよがりの喜びばかりを追い求めてしまい、気付いてみると、神から遠く離れてしまっていたということも珍しくありません。

 エルサレムはアッシリアの攻撃に滅ぼされそうになりました。この出来事の背景には、エルサレムの罪がありました。彼らは悔い改める必要がありました。しかし、神に目を向けようとはせず、この世の喜びに浸り、自分たちが持っているものばかりに目を向けて、それを誇っていました。

 神は「嘆くこと、泣くこと、髪をそり、粗布をまとうことを」布告されました(12節)。それは、悔い改めを求められたということです。神に立ち帰る時、神の民は、真実の揺らぐことのない喜びを見出すのです。

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