月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年4月16日(月)

創世記40章 忘れ去られる不安

「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。…」
ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。(創世記40:14,23)

 ある神学者が「忘れ去られる不安」について語っています。私たちの生きる今日の社会は、一人の人間がそこにいることが実に簡単に忘れ去られてしまうような社会です。また、この不安は人の死の不安とも重なっています。死は、永遠に忘れられてしまうことに思われるからです。

 ここには、ポティファルの妻による事件後の、ヨセフの獄中生活が書かれています。獄中でヨセフは、給仕役の長と料理役の長のそれぞれの夢を解き明かします。ヨセフは、給仕役の長の見た夢は、3日の後にファラオが復帰を許すことを意味していると解き明かします。ヨセフは、夢が実現して監獄から出され、幸せになったときには、わたしのことを思い出して、ファラオに執り成して欲しいと願います。ところが、彼はヨセフのことを、「思い出さず、忘れてしまった」と記されています。

 人は忘れても、神はヨセフのことを覚えておられます。十字架につけられた主イエスも私たちのことを忘れ去られません。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ23章42節)。この祈りは直ちに聞かれます。

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