月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年6月 5日(火)

イザヤ61章 神の良い知らせ

主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。(イザヤ61:1)

 60章に引き続いてエルサレムの終末的回復が語られている箇所です。キリストがナザレの会堂で、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されたものでもあります(ルカ4章21節)。

 語り手は「油注がれた者」です。旧約時代、王や祭司、預言者に油が注がれました。王、祭司、預言者の三職をお持ちのキリストがご自分のことだとおっしゃったのは当然のことです。すべての面で当てはまるからです。

 良い知らせを伝えられる「貧しい人」とは、物質的・金銭的に貧しいということではありません。「捕らわれ」「つながれている」とあるように、打ち砕かれ、絶望している人だと言うことができます。直接的にはバビロン捕囚に遭ったイスラエルの民のことですが、いろいろな状況を考えることができます。罪とか悲しみにまで拡大することができるでしょう。

 それらが取り去られると予告されています。希望的観測からそう言うのではありません。神の民はキリストにあって重荷から解放されます。このお方が涙をぬぐい去ってくださいます。

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