月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年8月 6日(月)

マタイ26章 御心が行われますように

更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」(マタイ26:42)

 主イエスは十字架に向かう前夜、ゲツセマネの園で悲しみもだえて祈られました。「わたしは死ぬばかりに悲しい」と、弟子たちにおっしゃいました。この祈りの格闘の後、主イエスは御父の心に従い、十字架へと進まれます。罪のないお方がここまで苦しんで御心に従われました。イエスの思いが、祈りによって天の父の御心と結ばれたのです。

 主は弟子たちにも「御心が行われますように」と祈るよう、教えられました。「御心に適うすべてを愛せるように、神の喜ばれないものは遠ざけるように、祈りなさい」と。この祈りは祈る者を戦いの中に投げ込みます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と、主は言われるからです(マタ16章24節)。

 私たちも、「この杯が過ぎ去る」ようにと祈るくらいの試練が与えられ、苦しみを避けられないときがあります。御心に適うとは、そこで神に屈服して白旗をあげることです。私たちは御心を求める祈りによって、自分の思いを第一にすることを止め、神に自分を明け渡すことができるようになるのです。

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