月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年10月22日(月)

ルカ23章 侮辱されるイエス

「祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。」(ルカ23:10-11)

 「使徒信条」にあるように、主イエスは「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」られました。その様子がこの23章に記されています。「この男はわが民族を惑わし」(2節)たと人びとは訴えました。けれども、ピラトの反応は、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(4節)というものでした。そのピラトの思いは続く場面でも同じでした。

 ピラトは自らの責任で取り調べた結果、繰り返し、主イエスのことを無罪と認めざるを得ませんでした。すなわち、聖書において、主イエスがこの世の法律、しかも当時の最高の法律と言われるローマ法によって裁く者の前においても無罪であることが、はっきりと示されています。聖書は、主イエスは無罪でありながらも十字架におかかりくださったと言うのです。

 それにもかかわらず、この罪なき主イエスをこの世の権力者も民衆も、救い主として認めることはありませんでした。なぜなら、そこに人の罪を担われた苦しみがあることを理解できなかったからです。世の目では見ることのできない神の救いの御業が、主イエスの十字架によって示されるのです。

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