月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年8月 5日(月)

使徒25章 ここにある勇気

  

パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。…私は皇帝に上訴します。」(使徒25:10-11)

 使徒パウロがカイサリアで2年間不当に監禁されていたとき、ユダヤの総督がフェリクスからフェストゥスに交代します。

 しかし、以前からの祭司長たちやユダヤ人のおもだった人びとのパウロ暗殺の陰謀は続きます。陰謀ゆえのパウロのエルサレム返送の依頼は通らず、カイサリアで裁判をすることになります。それは、法的な手続きを装いながら、その実態は人の悪意から出た偽証の連続でした。

 主イエス・キリストご自身が十字架を前にして不当な裁判を忍ばれたように、このときパウロも、立派に自分の無実と主は生きておられることを証しします。それは、どのような機会、法廷においても変わることない、パウロの一貫した姿勢そのものです。

 主イエスはかつて、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と、パウロを励ましてくださいました(23章11節)。

 今もさまざまな形で霊的戦いがあります。たとえ、人の悪意の中でも、目を覚まして祈りつつ、主の復活と栄光をあらわして歩みましょう。

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