月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年12月12日(月)

ヨハネ9章 過去でなく未来を見て生きる

  

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ9:3)

 主イエスは、生まれつき目が見えなかった人をいやされ、その目を見えるようにされました。それが主イエスのなさった六つ目のしるしです。

 主は生まれつき目の見えない人をじっと見つめられます。そのとき、弟子たちは尋ねます。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と。病気や生まれながらの障がいは、罪への罰であると当時の人びとは考えていました。

 今の私たちは病気や障がいをそのようには考えていません。けれども、今の私たちは誰が罪を犯したかを問わなくても、別の問いを抱きます。それは「どうしてこうなったか」という問いです。特に自分や自分の家族、親しい人のことになると、どうしてかと原因を問うのです。なぜこんな目に合わなくてはならないのかと不条理な現実に苦しみ悩み、その原因を問います。

 主イエスは私たちのこの問いに対しては答えられません。ただ「神の業がこの人に現れるため」とだけ言われます。ここで主は、原因ではなく、私たちの目をこれから行われる神の御業に向けられます。過去ではなく、これから、未来に向けてくださいます。主がおられ、善き導きを与えてくださるからです。

 【祈り】 主よ、あなたは私たちの目を、過去ではなく未来に向けてくださいます。希望に生きる者としてくださいます。

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