レビ22章 献げ物とその取扱いに表れる忠実さ
わたしはイスラエルの人々のうちにあって聖別されたものである。わたしはあなたたちを聖別する主である。…わたしは主である。(レビ22:32-33)
22章では、祭司が汚れを退け、聖なる条件を満たした祭司自身が、聖なる条件を満たしたいけにえを献げること、そして、献げた物を共に食する者にも求められる聖さが述べられます。現在の献げ物の基準とはかけ離れているように見えます。けれども、たとえば主の聖餐を考えてみれば、本質的な神への従順な姿勢が司式者・陪餐者の双方全員に求められていることに、通じるのではないでしょうか。ですから、「あなたたちはわたしの戒めを忠実に守りなさい」(31節)と、祭司だけでなくイスラエルの民にも求められるのです。
そして、この章だけでも六度も「わたしは主である」と繰り返されます。
主イエスも、十字架に向かわれるときに主を否んだ弟子に、復活の後に現れて、「わたしを愛しているか」と三度たずねられました。この連呼に、神が「熱情の神」(出20章5節)であられる理由を知る思いがします。
その上、主キリストはご自身が民の罪の償いの犠牲となりつつ、その犠牲を献げて祈る大祭司の務めをも果たしてくださったのです。その「憐れみ深い、忠実な大祭司」(ヘブ2章17節)の務めは今も続いています。それは私たちにとって、どれほどの大きな慰めであり、支えでしょうか。
【祈り】 永遠の大牧者である主イエスが、御心を行うために、すべての良いものを私たちに備えてくださいますように。
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