ゼファニヤ3章 喜び満ちるその日を待ち望んで
そのとき、わたしはお前のうちから
勝ち誇る兵士を追い払う。
お前は、再びわが聖なる山で
驕り高ぶることはない。(ゼファニヤ3:11)
ゼファニヤ書は繰り返し、「その日」すなわち「主の日」の到来を語ります。そして「主の日」とは、裁きの日でありつつ、同時に救いの日、悔い改めの日であり、同時に神に立ち帰る回心の日です。
主なる神への背きと罪の元凶として、ゼファニヤは傲慢さを指摘してきました。しかし、その日、その時が来たなら、私たちの内に根強く巣食う神への驕り高ぶりを、神自らが、私たちの内から追い払ってくださると約束されています。
ですから、主の日は、その日が今この私たちに訪れないようにと、恐れと共に願わなければならない、来て欲しくない日なのではありません。反対にその日は、私たちの罪が滅ぼされ、私たちが内側から傲慢さを除き去られた聖なる者へと神によって新しく造り変えられる、救いの日、希望と待望の日なのです。
その時に与えられる、溢れるような喜びが、3章の終わりに豊かに語られています。具体的にはその祝福は、神によって集められる「残りの者」たちによって担われます。そして、この約束のとおり、主の日の希望は、主イエス・キリストの福音のもとに集められた教会を通して、私たちに届いているのです。
【祈り】 主の日を待ち望み、その日がこの一日を通しても、また一歩近づいていることに希望を置いて、きょうを歩むことができますように。
Copyright (C) 2024 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.