ウエストミンスター小教理問答の学び 第103問

第103問 主の祈り、第三の祈願

問: 第三の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。

答: (「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という)第三の祈願で私たちが祈る事は、神が恵みによって私たちにも、天における御使いたちのように、万事につけて神の御意志を知り・従い・服することができる力と意志とを、授けてくださるように、ということです。


御心とは


 神の「御心」は一つですが、人の目には二通りに見えます。
(1) 万事を導く御心。
 一羽の雀でも御心によらなければ地に落ちません(マタイ10:29)。この意味での御心は今でも実現しています。

(2) 善の実現を願われる御心。
 神と人への愛が行われ、人が幸いを得ることを神は願っておられます。この意味での御心は罪と悲惨がこの世にある限り、完全には実現していません。
 第三の祈願での「御心」は、(2)の意味です。この世界に満ちる罪と悲惨が取り除かれて、神の願われる善が実現するように祈るのです。

 御心は本当は一つです。万事を導く神は世の終りにはついに罪と悲惨をこの世界から取り除いてくださいます。第三の祈願は、歴史を支配し完成して下さるこの神の恵みの御手に一切をゆだねる祈りでもあります。

御心を行なうための願い


 主は「御心が行われますように」と祈り、御心に従って十字架に死なれました。その模範に従い、私たちはこの祈りを、何よりも自分自身が御心を行うことを願いつつ祈ります。

 そのために必要な二つのことを祈るように小教理は教えています。
(1) 主の御心を知る知恵(信仰的判断力)。
 何が主の御心か思い惑うこと多い者として、信仰的判断力を私たちは願い求めます。

(2) 主の御心に従い服すること(実行力)。
なすべき善を知っても行なえない者として、実行力を私たちは願い求めます。
 「天になるごとく」は、天には御心に沿わない事は何一つない事を踏まえた言葉です。特に、天で御心を完全に行う天使に、私たちがならうことができるように祈り求めます。自分の弱さを言い訳とした妥協や割引を求めず、御心を行なうことを切に願い求めるのです。信仰と悔い改めなしには祈れない祈りです。

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