第36問A「数々の祝福」
問:この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、何ですか。
答:この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです。
神の愛の確信について学んだ前回に続けて、今回はその他の祝福について学びます。
自分で自分を責める良心の苦しみは辛いものです。信者はなお罪人ですが、神の変わらない愛と赦しに支えられて、良心の平和を与えられます。私たちがどんなに自らを厳しく責めても、主には別の判断があります。主の前では信者は罪赦された存在であり、永遠に愛の対象です。罪に心が痛む時も、主の赦しと愛に支えられて良心の平和を取り戻せます。
聖霊は私たちを主と人格的に深く結びつけて下さいます。主を愛し、主の愛を味わう交わりの喜びが、聖霊における喜びの中心です。聖霊は聖化の働きもなさいます。その聖化は知性・倫理性・宗教性を含む全人的なきよめであり、漸進的でした。一生涯、信徒は神との恵みの関係を深めることに招かれています。「恵みの増加」が約束されているのです。クリスチャンの喜びは、洗礼を受ける時が最高なのではありません。受洗の時は特別の一歩を踏み出す感激の時ですが、信仰の喜び自体は、その後に増し加わり続けます。
「堅忍」とは、主と信者の結びつきが最後まで保たれる事です。信者は信仰を守り通す力を受け、主イエスご自身も、私たちの救い主であり続けて下さいます。この世の何も、「キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことは出来ない」のです(ロマ8:39)。受洗後に教会を去る人もいます。しかし、真の信仰者なら必ず立ち帰ります。試練の日に多くの人が信仰を回復します。最大の試練である死の時は最大のチャンスです。人の目に隠れた信仰回復者はいるはずです。主はすべての真の信者に堅忍を与えて下さるのです。
もちろん、キリストを信じないで形だけの洗礼を受けた人はこの限りではありません。