リジョイス聖書日課 2015年11月

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2015年11月の聖書日課

詩編 110編

わが主に賜った主の御言葉。
「わたしの右の座に就くがよい。」 詩編 110編1節

メシア預言

この詩は、王の即位式において歌われた式文と解釈されます。宮廷詩人は「わが主」である王に向かって、「主(ヤハウェ)が語られる。主の右の座にあなたは座るのだ」と、最大級の褒め言葉をもって王を称えています…

ゼファニヤ 1章

主の大いなる日は近づいている。
極めて速やかに近づいている。
聞け、主の日にあがる声を。
その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。 ゼファニヤ書 1章14節

ユダに対する裁き

旧約の他の預言書のように、本書は1章で裁きを、2章で悔い改めを、3章で救いを語るというパターンを見せてくれます。ゼファニヤは、ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に活動した預言者です。その時、ユダの国とその民…

ゼファニヤ 2章

主を求めよ。
主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた
この地のすべての人々よ
恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。
主の怒りの日に
あるいは、身を守られるであろう。 ゼファニヤ書 2章3節

ユダへの悔い改めと異邦人に対する裁き

「主の日」は裁きの日、怒りの日として、神の正義が明らかになる日です。罪を徹底して裁くのが神の正義です。そこで、預言者ゼファニヤは、「共に集まれ、集まれ、恥を知らぬ国よ」(1節)と呼びかけつつ、「主を求…

ゼファニヤ 3章

「お前の主なる神はお前のただ中におられ
勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ
愛によってお前を新たにし
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」 ゼファニヤ書 3章17節

エルサレムの裁きと未来の救い

本章は災いと裁きの前半部と、救いと賛美の後半部が対照になっています。預言者ゼファニヤは、先ず「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は」と指摘して(1節)、エルサレムの代表的な三つの罪、すなわち、反逆、汚…

ガラテヤ 4章

しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です。 ガラテヤの信徒への手紙 4章9節、11節

あなたがたのことが心配です

未成年者が、遺産相続の権利を持っていても、実際に遺産を手にするのは大人になってからです。ガラテヤ教会員は、霊的な意味で、神の国を相続できる大人です。しかし、彼らは、その祝福を享受しようとせず、「あの…

ガラテヤ 5章

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。 ガラテヤの信徒への手紙 5章13節~14節

愛と自由

愛と自由は、密接な関係にあり、切り離すことはできません。親と子の関係であっても、愛を押しつけることはできません。ここに愛する苦しさがあります。愛を受け取るように強要することも、愛を引き出すために何ら…

ガラテヤ 6章

兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。 ガラテヤの信徒への手紙 6章18節

教会は一つ

「わたしたちの主イエス・キリスト」という言い方は、この手紙の中では6章にのみ出てきます(14、18節)。 「わたしたちの主イエス・キリスト」は、割礼のあるパウロから割礼のないガラテヤ教会の人びとへの呼びか…

詩編 111編

主の御業は大きく
それを愛する人は皆、それを尋ね求める。 詩編 111編2節

主の御業を見よ

この詩は、表題にあるとおり、ヘブライ語のアルファベット22文字を、各行の頭に用いる「いろは歌」の構造です。1節「ハレルヤ」の「ハレル」は「ほめたたえよ」、「ヤ」は「ヤハウェ」の短縮形です。 この詩には「…

イザヤ 40章

主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。 イザヤ書 40章31節

究めがたい英知の神に望みをおく人

主を信じる人は、信仰によって喜びをもって生きています。来るべき救い主に対する望みがあるからです。けれども、時には疲れを覚え、この世での苦労から、確信を失いかけることがあります。 イザヤは捕囚の苦しみを…

イザヤ 41章

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。 イザヤ書 41章10節

わたしはあなたと共にいる神

キュロスは紀元前539年にバビロンを征服します。当時、彼は諸国の王たちを屈服させました。またバビロンに捕囚となったユダヤ人たちを、本国に帰還させたのもこのキュロスです。このことはイザヤの預言の成就です(…

イザヤ 42章

主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。 イザヤ書 42章6節

見よ、わたしの僕、わたしが支える者を

神はご自分の民に望みの光を与えられます。ご自分の契約どおり、世のすべての民が神の祝福を受け、その祝福によって生きることができるようにと、一人の人物をお選びになりました。その人物は神の僕、神が喜び迎え…

使徒 13章

集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。 使徒言行録 13章43節

神の恵みにしがみつく

「神の恵みの下に生き続けるように」という言葉は、「神の恵みにしがみつく」とも訳せる言葉です。聖霊によって宣教へと送り出されたパウロとバルナバは、信じた人々におめでとうと言ったのではなく、「神の恵みに…

使徒 14章

到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。 使徒言行録 14章27節

教会を建て上げる伝道

パウロとバルナバは、迫害にさらされながらも、ユダヤ人以外の異邦人の地に出向いて、福音を宣べ伝えました。そして、それぞれの地に教会を建て、そこに複数の長老たちを立てました。 パウロとバルナバは、長老たち…

使徒 15章

数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」 使徒言行録 15章36節

励ましを必要とする教会

パウロは、第二回の伝道旅行に出かけます。しかし、パウロは、新しいところに宣教に向かったのではありません。前回出掛けて行って伝道してきた場所をもう一度訪問して、そこにある諸教会を力づけるためでした。さ…

詩編 112編

まっすぐな人には闇の中にも光が昇る
憐れみに富み、情け深く、正しい光が。 詩編 112編4節

まっすぐな人

この詩も「いろは歌」の構造です。111編は主の御業を賛美するのに対し、112編では「主を畏れる人」の信仰を描いており、二つの詩は姉妹編と呼ばれます。 この詩では特に信仰者の心のあり方とその手の業が取り上げら…

イザヤ 43章

わたしはあらかじめ告げ、そして救いを与え
あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。
あなたたちがわたしの証人である、と
主は言われる。
わたしは神
今より後も、わたしこそ主。 イザヤ書 43章12節~13節

わたしのほかに救い主はない

イザヤ書43章は、創造者であられる神が、民の救済者としてご自身を現しています。その第一声は「恐れるな」という言葉で始まります。あらゆる困難を通り過ぎる時も、この神が、いつも共にいてくださいます。共にい…

イザヤ 44章

わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹き払った。
わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。 イザヤ書 44章22節

罪を霧のように吹き払う神

万物を創造され、ご自分の民を救われる神だけが唯一のまことの神です。他の神々は、人間の手で作られた命のない偶像に過ぎません。そのような偶像を自分で生み出し、それに仕える人間の、何とむなしいことでしょう…

イザヤ 45章

わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば
その言葉は決して取り消されない
。わたしの前に、すべての膝はかがみ
すべての舌は誓いを立て
恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。 イザヤ書 45章23節~24節

ご自分にかけて誓う神

世のすべてのものを創造された神は、イスラエルの聖なる神であり、正義の神です。このような神の特質が、イザヤ書40章から48章には特に強調されています。神は世にご自分の正義が満ち溢れるように、地が開いて救い…

使徒 16章

真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。 使徒言行録 16章25節

暗闇に光を呼び込む

パウロとシラスは、牢獄の中にいました。当時の牢獄は、長い洞窟でした。わたしの脳裏に次の光景が浮かびます。 その一番奥の狭く真っ暗な闇の中で、二人は、洞窟の天井から時々落ちてくる水滴を、鞭打たれた背中の…

使徒 17章

「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」 使徒言行録 17章27節

大きくて近い神

「地球は青かった」という言葉があります。宇宙から地球を眺めると、地球は闇に浮かび上がる青い球体としての全体像を現します。それと同じように、高い視点からこの私たちの世界を見下ろして、かたちづくり、導い…

使徒 18章

ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。…この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 使徒言行録 18章9節~10節

力と勇気の源

まだ信仰を持っていない人びとに対して語り続けていたパウロには、恐れがありました。恐れを覚えざるを得ないほどの厳しい迫害が、彼に迫ったのでしょう。 それに加え、わたしが思うには、単純に人びとの抵抗に遭う…

詩編 113編

日の昇るところから日の沈むところまで
主の御名が賛美されるように。 詩編 113編3節

時間・空間を超えた主の臨在

この詩は過越祭に歌われた詩編と言われ、時間と空間を超えた主の臨在がたたえられます。「今よりとこしえに」という時間を超越される主。さらに「日の昇るところから日の沈むところまで」という空間にとらわれない…

イザヤ 46章

わたしは初めから既に、先のことを告げ
まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。
わたしの計画は必ず成り
わたしは望むことをすべて実行する。 イザヤ書 46章10節

ご自分の計画を必ず実行される神

神はご自分の民を、まるで母が自分の子の面倒を見るように、最初から最後まで徹底的に保護されます(3、4節)。神がその民を顧みるとき、この世の人に優って温かく、憐れみに満ち、誠実であり、完璧です。それは神…

イザヤ 47章

わたしたちの贖い主、その御名は万軍の主
イスラエルの聖なる神。 イザヤ書 47章4節

御名は万軍の主

バビロンは一時、神の道具として用いられましたが、神の審判によって滅ぼされてしまいました。それは神の気まぐれではありません。神は審判によって神ご自身の正義を示しておられます。ほかでもない神ご自身が、正…

イザヤ 48章

イスラエルの聖なる神
あなたを贖う主はこう言われる。
わたしは主、あなたの神
わたしはあなたを教えて力をもたせ
あなたを導いて道を行かせる。 イザヤ書 48章17節

初めでありまた終わりである神

「ヤコブの家よ、これを聞け」と、神はご自分の民に呼びかけます。そう呼びかけられる神の民イスラエルは、口先ばかりの神の民でした。「まこともなく、恵みの業をすることもないのに、主の名をもって誓い、イスラ…

イザヤ 49章

わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。 イザヤ書 49章6節

わたしは主、あなたを贖う

イザヤ書には「僕の歌」と呼ばれる個所が四つあります。この四つの「僕の歌」は、どれも神の救いを成し遂げる一人の人物に言及しています。きょうの個所は、イザヤ書42章に次いで、第二の「僕の歌」です。 ここに歌…

使徒 19章

このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。 使徒言行録 19章20節

御言葉の力を受けて

クリスチャンになるということは、私たちがどのようになることなのでしょうか。罪が赦される(義認)、永遠の命を約束される、神の子どもとして受け入れられ、整えられる(聖化)など、他にもいろいろな言い方で、…

使徒 20章

「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」 使徒言行録 20章24節

私たちの大きな使命

パウロの目には、この先自分に、死を意味するような苦難が起こり来ることが、既に見えていました。しかしパウロは、その艱難を、ただただ恐怖心から見据えていたのではありません。主イエスと共に歩む人生の目的に…

詩編 114編

地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に
ヤコブの神の御前に
岩を水のみなぎるところとし
硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。 詩編 114編7節~8節

イスラエルを導く神

エジプトを脱出したイスラエルの民に、最も強烈なインパクトを与えたのは、紅海渡りの奇跡でした。「海を押し返されたので…人々は海の中の渇いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」(出14章21、…

イザヤ 50章

お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。 イザヤ書 50章10節

主を畏れ、主の僕の声に聞き従おう

この章では、エルサレムとその住民の関係を、母と子になぞらえています。人々の目には、エルサレムがまるで夫から離縁状を突きつけられた妻のように、エルサレムに住む住民たちが借金の肩代わりに債権者に引き渡さ…