リジョイス聖書日課 2018年3月

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2018年3月の聖書日課

イザヤ 36-37章

「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王はこう言われる。なぜこんな頼りないものに頼っているのか。
ただ舌先だけの言葉が戦略であり、戦力であるのかとわたしは言う。今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。」 イザヤ書 36章4節~5節

何に頼って生きるのか

人は、家族や友人、仕事やお金などいろいろなものを頼りにして生きています。その中で何が一番大事かと問われても、すぐに答えることは難しいでしょう。生きていく上でなくてはならないものがたくさんあるからです…

イザヤ 38-39章

見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに投げ捨ててくださった。 イザヤ書 38章17節

病を通して知ったこと

誰もが、病を避けて生きたい、できるならば、心も身体も健康であり続けたいと願うのではないでしょうか。しかし、病を避けて通ることはできません。治る病もありますが、生涯、闘病生活を強いられることや、やがて…

ガラテヤ 1章

こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。 ガラテヤの信徒への手紙 1章10節

人を喜ばせるためでなく

一人でも多くの人に福音の恵みにあずかっていただきたいと願い、信じる人が増えることを願って、そのための努力を重ねています。けれども絶えず問われています。「わたしは人に取り入ろうとしているのか。それとも…

マタイ 6章24-34節

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書 6章31節~33節

もっとも大事なことを見分ける

思い悩むというならば、主イエスほど思い悩んでもおかしくない方はおられないでしょう。エルサレムに上り、異邦人の手に引き渡され、辱められ、十字架につけられることになっておられるのですから。しかし主は覚悟…

ガラテヤ 2章

人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。 ガラテヤの信徒への手紙 2章16節

結果をだせなくても

激しい競争社会です。結果を出しなさいと迫られます。落ちこぼれの情けない思いになることもあります。行いによって義とされる世界では、成果をあげればあなたは正しい、それでよいと評価されます。頑張り屋さんは…

ガラテヤ 3章

そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスおいて一つだからです。 ガラテヤの信徒への手紙 3章28節

新しい世界の宣言

こんな素晴らしい世界があることを誰も知らなかったと思います。イエス・キリストはこの罪の世に全く新しい世界を造るためにおいでになったのです。 救い主を信じる私たちは神の子とされています。洗礼を受けた私た…

ガラテヤ 4章

しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。 ガラテヤの信徒への手紙 4章9節

神から知られているのに

「かつて」の私たちは神々の奴隷でした。高度な科学文明の時代ですが、世を支配する諸霊に縛られ、世間体や占いやしきたりに縛られ、時にはびくびくするような生活をしていました。しかし「いま」は神を知っていま…

ガラテヤ 5章

わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 ガラテヤの信徒への手紙 5章16節

聖霊によって歩みなさい

私たちは主の御霊、聖霊によって罪と死の呪いから解放された自由人です(ロマ8章2節)。肉の人は、神の国を受け継ぐことはできません。神の国の希望に生きる私たちですが、肉と霊の激しい対立や失敗の経験がありま…

ガラテヤ 6章

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。 ガラテヤの信徒への手紙 6章2節

互いに重荷を担いなさい

聖書はキリスト者のことを「御霊の人」と呼んでいます(1節、新改訳)。決してお世辞ではありません。「アッバ、父よ」と祈る人は御霊の人なのです(4章6節)。 御霊の人であることは、だれかが罪に陥ったときの対…

創世記 12章

「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」 創世記 12章1節~3節

祝福の源となるために

神の救いの歴史は、アブラムの召しから大きく進展します。神がアブラムを祝福し彼の名を高め、彼の子孫を大いなる国民になさるのは、アブラムが祝福の源となるためです。アブラムの召しは、彼の祝福と彼の子孫の祝…

マタイ 17章1-8節

イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 マタイによる福音書 17章2節~3節

起きなさい。恐れることはない

これからエルサレムで起こる事を弟子たちにあらかじめ語っても理解してもらえない主イエスは、どのような心境だったでしょうか。天の父はいつも近くにおられましたが、もしかすると心細い気持ちもあったかもしれま…

創世記 13章

「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。…さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」 創世記 13章14節~17節

東西南北縦横無尽に

アブラムの旅立ちに、甥のロトが同行しました。ロトは大人ですが、子どものいないアブラム夫妻は、我が子に注ぐような愛情をロトに対して抱いていたと思われます。 アブラムへの祝福は、ロトへの祝福でもあります。…

創世記 14章

アブラムはソドムの王に言った。
「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません。」 創世記 14章22節~23節

神からの祝福のみで生きる

ここには多くの王たちの名前が登場します。良い土地を選んだロトは、王たちの争いに巻き込まれ、財産を奪われ、捕虜となります。豊かさが一瞬の内に消え去るのは、今も昔も変わりがありません。 主の祝福によって王…

創世記 15章

主の言葉があった。「…あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。…あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 創世記 15章4節~6節

信仰義認

財産の祝福を主に委ねたアブラムは、子孫の祝福をも主に委ねるように促されます。不妊の妻サライとの間に子どもができる可能性がないなかで、大いなる国民になるという約束を信じ、アブラムは旅立ちました。アブラ…

創世記 16章

ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。 創世記 16章13節

顧みられる神

「不妊の女」と呼ばれてきたサライは、自分との間に生まれる子ではなくとも、アブラムから生まれる子であるなら、それでよし、と考えました。サライは彼女なりに、主の約束を受け入れました。アブラムもサライの苦…

創世記 17章

アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。90歳のサラに子供が産めるだろうか。」…
神は言われた。
「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク
(彼は笑う)と名付けなさい。」 創世記 17章17節~19節

笑わせてくださる神

75歳で旅立ったアブラムは既に99歳です。彼もサライも年をとりました。 主は、そのアブラムに現れ、多くの国民の父となると励まし、彼の名をアブラハムと改名なさいます。さらに、割礼の儀式を定め、彼の子孫が神の…

創世記 18章

主は言われた。
「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。…主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」 創世記 18章17節~19節

執り成しの器となるために

アブラハム物語は、神が心をゆるすことができる友(ヤコ2章23節)を人のなかに見いだされた物語です。同時に、アブラハムの甥ロトへの友情物語でもあります。アブラハムは、旅の最初からずっとロトを心にかけ、物心…

ヨハネ 11章1-44節

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 ヨハネによる福音書 11章25節~26節

このことを信じるか

主イエスがこれほど深く心動かされている姿を記す聖書箇所はおそらく他にありません。2回も「心に憤りを覚えた」とあるだけでなく、「涙を流された」ともあります。この主イエスのお姿からは、喜びも悲しみも私たち…

創世記 19章

ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。…主は言われた。
「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」 創世記 19章16節~17節

20180319

「主のもとから」の「硫黄の火」(24節)は、裁きの典型的な表現です。同時に、19章には救いが示されています。御使いがソドムの町を滅ぼす前にロトの家に立ち寄りました。救うためです。 しかし、ロトの娘たちの婿…

創世記 20章

アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。 創世記 20章17節~18節

祈りの人にする訓練

20章の場面設定は、読者を悩ませます。文脈を踏まえると、アビメレクの寵愛を受けそうになったサラは90歳を超えています。また、アブラハムが妻を妹と言って欺くのは、12章に続いて2度目です。それなのに、アビメレ…

創世記 21章

神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。…お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 創世記 21章17節~18節

子どもの泣き声を聞かれる神

イサクを献げる22章に心理描写はなく、アブラハムは黙々と神に従います。 サラとハガルの女の争いが描かれる21章では、二人の間で苦悩するアブラハムの内面が丁寧に取り上げられています。ハガルとイシュマエルには…

創世記 22章

「あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。…地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 創世記 22章16節~18節

主の山に、備えあり

アブラハムはイシュマエルを死に引き渡す苦しみを味わいましたが、その中に神の守りが確かにありました。その体験は、我が子イサクを神に献げねばならない中にあって、彼に神の守りを期待させたことでしょう。イサ…

創世記 23章

その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。 創世記 23章19節~20節

御国を受け継ぐ印

アブラハムへの祝福は、東西南北見渡す限りの土地の譲与と大地の砂粒のように数え切れないほどの子孫の繁栄です(13章14~17節)。23章では土地の約束が取り上げられます。 サラは127歳で天に召されました。アブラ…

創世記 24章

「天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。」 創世記 24章7節

神が合わせてくださる結婚

アブラハムへの祝福が約束の子イサクへと受け継がれるときが、近づいてきました。その備えとして、アブラハムはイサクの結婚を段取ります。 アブラハムの出した条件は、カナンの娘ではなく、彼の一族のいる故郷の娘…

マルコ 27章11-54節

イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マルコによる福音書 27章46節

試練を乗り越える備え

主イエスは十字架の死がご自身の使命であり、預言者が語ったとおり必ず実現することをご存じでした。時が近付くと、主は弟子たちにあらかじめ知らせましたが、弟子たちには理解力がなく、もだえる主イエスと共に祈…

ヨハネ 12章1-11節

過越祭の6日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。…ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。イエスは言われた。「…わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」 ヨハネによる福音書 12章1節~2節、7節

ラザロとの食卓と葬りの備え

過越祭の6日前のことです。主イエスは再びベタニアのマルタとマリアの家に行かれました。そこには、主イエスが墓から呼び出されたラザロがおりました(11章44節)。マルタとマリアは、弟を死者の中から生き返らせた…

ヨハネ 12章20-36節

「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 ヨハネによる福音書 12章23節~24節

一粒の麦

主イエスのもとにユダヤ教に改宗したギリシア人がやって来ました。すでに主の教えがギリシア人にまで伝わっていました。世界が福音を待っているかのようです。 そこで主イエスは一粒の種の譬えを語られました。主イ…

ヨハネ 13章21-32節

イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 ヨハネによる福音書 13章21節

裏切りの予告

主イエスはすべてをご存じでした。ですから、主イエスの十字架の苦難は、突発的な事故ではありません。しかし、すべてをご承知でありながら主は「心を騒がせ」ておられます。 古代教会の指導者アウグスティヌスは、…

ヨハネ 13章1-17節

イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り…たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い…ふき始められた。 ヨハネによる福音書 13章3節~5節

弟子の足を洗う主イエス

主イエスが弟子たちの足を洗われたことを記念して、教会の暦では受難週の木曜日を洗足の木曜日と呼んでいます。この時、主イエスは父からすべてがご自分に委ねられたことを悟り、食卓の席を立ち弟子たちの足を洗わ…

ヨハネ 18章1節-19章37節

そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。…真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」 ヨハネによる福音書 18章37節~38節

真理とは何か

大祭司カイアファは主イエスを尋問した後に、ローマの総督ピラトのもとに主イエスを連れて行きました。ユダヤ人には人を死刑にする権限がなかったからです。そこでピラトが主イエスを尋問することになりました。ユ…

ヨハネ 19章38-42節

彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。 ヨハネによる福音書 19章40節~41節

主イエスの埋葬

十字架で処刑された者は、十字架の上に放置され腐敗するまま放って置かれたと言われています。しかし、ユダヤ人たちは遺体の埋葬を重んじていました。ピラトも、ユダヤ人の死刑囚の場合には申し出があれば埋葬を許…