リジョイス聖書日課 2021年3月

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2021年3月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  4月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  4月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 4月号配信中

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パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

カルヴィニズムる人たち 2021年3月

カルヴィニズムる人たち 2021年3月

2021年3月の「カルヴィニズムる人たち」は花小金井教会会員の阿部勝美さんです。建築物の装飾として用いられるステンドグラスの製作でご活躍されています。

わたしの街のこの教会 Vol.49 長野佐久教会(佐久会堂)

わたしの街のこの教会 Vol.49 長野佐久教会(佐久会堂)

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2021年3月は長野県佐久市 にある「長野県佐久教会(佐久会堂)」です。

ルカ 15章11-20節

「『ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」 ルカによる福音書 15章18節~20節

神に立ち帰るときにあずかる本当の自由

主イエスは、神を父に、私たち罪人を弟息子に重ね合わせて「放蕩息子」のたとえを話されました。 弟息子は、父から財産を相続すると、父のもとを離れて放蕩の限りを尽くします。これは、自由を求めて神から逃れた人…

ルカ 15章20-24節

「父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』」 ルカによる福音書 15章22節~24節

立ち帰る者を条件もつけず迎える神の愛

父を捨てて家を出て行った弟息子が帰ってきました。彼はまだ遠く離れていたのに、父はいち早く彼を見つけます。父は、息子が離れてしまったその日から、「わたしの愛する息子はいつ戻るのか」と、心を痛めて毎日外…

ルカ 15章25-32節

「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 ルカによる福音書 15章31節~32節

この喜びを一緒に喜んでくれ

ある大学に、この人以上に罪深い人はいないだろうと噂される悪い教授がいました。ある日、その教授をよく知るクリスチャンの教授が、キリストの十字架による罪の赦しを証しすると、その悪い教授は言いました。「俺…

ヨブ 1章

「わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」 ヨブ記 1章21節

わたしは裸で母の胎を出た

なぜ敬虔な信仰者であっても苦難に遭うのでしょうか。この問いかけがヨブ記全編を貫いています。そして、それ以上にヨブ記を貫いているのが、ヨブを、そして私たちを生かし、支えてくださる神の愛です。苦難のとき…

ヨブ 2章

ヨブは答えた。
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。 ヨブ記 2章10節

幸福も不幸も

財産を失うという第一の試練でヨブに罪を犯させることができなかったサタンは、ヨブの肉と骨に触れるという第二の試練を与えることを神に願い出て、許されます。命だけは奪うなという条件付きでした。 私たちは自分…

ヨブ 3章

やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。
わたしの生まれた日は消えうせよ。
男の子をみごもったことを告げた夜も。 ヨブ記 3章1節~3節

わたしの生まれた日は消えうせよ

苦しみの中で、ヨブは口を開いて嘆きます。独り言のように語られますが、もちろん、これは神に対する訴えです。ただし、呪いの言葉が神に向けてのものとならないよう慎重に注意されています。 「わたしの生まれた日…

マルコ 2章13-22節

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 マルコによる福音書 2章17節

罪人が招かれる宴席

多くの人が主イエスの福音を求めて集まる一方、「救いの恵み」の外にいる者として蔑まれていた徴税人レビは、収税所に座っていました。道ゆく人びとからの冷ややかな視線が、彼を救いの外に留め続けていました。 し…

ヨブ 4章

テマン人エリファズは話し始めた。
あえてひとこと言ってみよう。
あなたを疲れさせるだろうが
誰がものを言わずにいられようか。 ヨブ記 4章1節~2節

あえてひとこと言ってみよう

嘆くヨブを慰めようと、友人のエリファズが語り始めます。しかし、人を慰めるのは難しいことです。 「あなたの言葉は倒れる人を起こし、くずおれる膝に力を与えたものだった。だが、そのあなたの上に何事かふりかか…

ヨブ 5章

わたしなら、神に訴え
神にわたしの問題を任せるだろう。 ヨブ記 5章8節

わたしなら神に訴えるだろう

ヨブの友エリファズは、ヨブを慰めようとして、責め立てることに陥ってしまったように思われます。「わたしなら、神に訴え、神にわたしの問題を任せるだろう」。これはその通り大切なことであり、事実、ヨブは神に…

ヨブ 6章

神よ、わたしの願いをかなえ
望みのとおりにしてください。
神よ、どうかわたしを打ち砕き
御手を下し、滅ぼしてください。
仮借ない苦痛の中でもだえても
なお、わたしの慰めとなるのは
聖なる方の仰せを覆わなかったということです。 ヨブ記 6章8節~10節

真実の祈り

友人にも理解されない苦難の中で、ヨブは祈ります。「神よ、どうかわたしを打ち砕き、御手を下し、滅ぼしてください」。自分を滅ぼしてしてくださいと祈らざるを得ないまでの苦しみがあります。しかし続けて、「仮…

ヨブ 7章

人間とは何なのか。
なぜあなたはこれを大いなるものとし
これに心を向けられるのか。 ヨブ記 7章17節

人間とは何なのか

今朝の御言葉と同じことを詩編の作者も歌っています。「そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」(詩8編5節)。小さな存在に…

ヨブ 8章

いつまで、そんなことを言っているのか。
あなたの口の言葉は激しい風のようだ。 ヨブ記 8章2節

神に訴えるヨブ

ヨブの言葉を聞き、ビルダドは、「激しい風のようだ」と言いました。止めどなく湧き出る強い口調から、ヨブの苦悩が伝わってきます。 「試練の時、ヨブ記に慰められました」と言う方がいました。試練は、父なる神の…

ヨハネ 6章22-59節

そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」 ヨハネによる福音書 6章34節~35節

わたしは命のパンである

主イエスは群衆に向けて語りかけられます。彼らは、あの5千人給食によって満腹し、主イエスを追いかけてきた者たちです。アンパンマンではありませんが、おなかを満たしてくれる人こそヒーローです。希望です。 主…

マルコ 9章2-9節

すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。 マルコによる福音書 9章7節~8節

これはわたしの愛する子。これに聞け

主イエスは、ご自分の受難と復活について教えられてから6日の後に、弟子の中から、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られました。そこで弟子たちが目にしたのは、栄光の光に輝く主イエスが、エリヤと…

ヨハネ 8章12-20節

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 ヨハネによる福音書 8章12節

わたしは世の光である

この8章を素朴に読んでいくと、「わたしは世の光である」とは、直前の記事の「姦淫の女」に対しての言葉として読むことができます。暗闇の中を歩んできた、彼女のこれまでの人生です。しかし主イエスの赦しにおいて…

ヨハネ 10章1-10節

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。…わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 ヨハネによる福音書 10章9節~10節

わたしは門である

ヒトラーに対抗したドイツ教会闘争の金字塔とも言えるバルメン宣言の第一項に、キリストこそが唯一の門であるというこの聖句が掲げられています。そして、「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリスト…

ヨハネ 10章11-18節

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 ヨハネによる福音書 10章11節~15節

わたしは良い羊飼いである

良い羊飼いである主イエスは、自分の命よりも羊の命を大事にされます。これは十字架の死を示しています。わたしを罪から救うために、わたしに代わって死んでくださった方がおられる。これぞキリスト教信仰のど真ん…

ヨハネ 11章1-44節

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 ヨハネによる福音書 11章25節~26節

わたしは復活であり命である

主イエスは、病気によって死んでしまった愛する友ラザロをたずね、彼を墓から呼び出して甦らせます。そういう意味ではラザロの死ということが一貫して物語の軸になっています。しかしここで主イエスが一番問題にさ…

ヨハネ 14章1-14節

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 ヨハネによる福音書 14章6節~7節

わたしは道であり真理であり命である

「道・真理・命」と並んでいますが、中心は道です。真理である道、命である道。この道において確実に真理を知り、命を得ることができる、わたしはそういう道なのだと言われます。それはすなわち永遠の神へと至る道…

ヨハネ 15章11-17節

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。…わたしはあなたがたを友と呼ぶ。 ヨハネによる福音書 15章12節~15節

あなたがたはわたしの友である

ヨハネ福音書から「わたしは~である」をテーマに、というのがわたしへのご依頼でした。しかし、最後に「あなたがたはわたしの友である」との言葉を取り上げたくなりました。この言葉の奥に、「わたしはあなたがた…

ヨハネ 3章14-21節

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 ヨハネによる福音書 3章16節~17節

裁きでなく救いのために

ある夜、ファリサイ派に属するニコデモが、主イエスのもとを訪ねます。彼は、主イエスのことを「神のもとから来られた教師」と告白します。神の国を求めるニコデモに対して、主イエスは人が神の国を見るためには、…

ヨブ 9章

あの方とわたしの間を調停してくれる者
仲裁する者がいるなら
わたしの上からあの方の杖を
取り払ってくれるものがあるなら
その時には、あの方の怒りに脅かされることなく
恐れることなくわたしは宣言するだろう
わたしは正当に扱われていない、と。 ヨブ記 9章33節~35節

仲裁者を求めるヨブ

すべてを失ったヨブに残されたものは、「わたしの僕ヨブ」と親しく呼んでくださる神との関係でした(1章8節)。しかし、それならば何故、このような苦難に遭わなければならないのか。今や自分は、神の敵とみなされ…

ヨブ 10章

わたしに命と恵みを約束し
あなたの加護によって
わたしの霊は保たれていました。 ヨブ記 10章12節

命と恵みの約束

ヨブは、愛を込めて丹念に自分を造り、命と恵みを約束してくださった神を知っています。変わらぬその約束の内に、わたしの魂は守られ、保たれてきたのだと。しかし今、神はわたしの過ちに目を留めて、裁きと苦役を…

ヨブ 11章

あなたは言う。
「わたしの主張は正しい。
あなたの目にもわたしは潔白なはずだ」と。 ヨブ記 11章4節

試練の意味

友人ツォファルは、潔白を主張するヨブに対して、「口がうまければそれで正しいと認められるだろうか」、「あなたの無駄口が人々を黙らせるだろうか」と反論します(2、3節)。しかし、この反論は正しいのでしょう…

ヨブ 12章

神に呼びかけて
答えていただいたこともある者が
友人たちの物笑いの種になるのか。
神に従う無垢な人間が
物笑いの種になるのか。 ヨブ記 12章4節

不条理の中で

ヨブは自らを、「神に呼びかけて、答えていただいたこともある者」、「神に従う無垢な人間」だと語ります。神の命と恵みの約束の中で、真心から神を畏れて歩んできたのに、今や、自分は町中の人から蔑まれ、友人た…

ヨブ 13章

なぜ、あなたは御顔を隠し
わたしを敵と見なされるのですか。 ヨブ記 13章24節

なぜ、あなたは

13章には、ヨブの苦しみが凝縮されています。「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい」(3節)。「このわたしをこそ、神は救ってくださるべきではないか。神を無視する者なら、…

ヨブ 14章

呼んでください、わたしはお答えします。
御手の業であるわたしを尋ね求めてください。 ヨブ記 14章15節

赦しを求めて

ヨブは、「御手の業であるわたし」と言いました。神が愛の御手で形造ってくださったわたしであることを、思い出しているのです。「わたしを尋ね求めて」、以前のように、神の御そば近くに置いてください、「わたし…

ルカ 23章32-38節

[そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」] ルカによる福音書 23章34節

十字架上の第一のことば-赦し-

十字架に架かられた主イエスの最終的な死因は、窒息死であると考えられています。死に至るまでの経過は、およそ次のようでした。 主が十字架に吊るされたその時、まず両肩が脱臼し、体がずれ下がります。しかし、こ…

ルカ 23章39-43節

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 ルカによる福音書 23章43節

十字架上の第二のことば-救い-

主イエスと一緒に二人の犯罪人が十字架に架けられました。十字架に架けられるほどの犯罪人ですから、彼らは相当の悪事を重ねて来たのです。強盗、略奪そして殺人。それ故、「あの男によってわたしの人生は滅茶苦茶…

ヨハネ 19章26-27節

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 ヨハネによる福音書 19章26節~27節

十字架上の第三のことば-愛情-

主イエスには弟・妹たちがいました(マコ6章3節)。それ故、ご自分が世を去った後の母の世話は、その兄弟たちの役目です。ところが、主は彼らの了解を得ることもなく、弟子のヨハネに母を託し、母マリアも主の言葉…

マタイ 27章45-50節

3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マタイによる福音書 27章46節

十字架上の第四のことば-苦悩-

主は、小さな声でつぶやいて言っておられるのではありません。大声で叫んで言われたのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。まことに、張り裂けた苦悩の叫びです。 主が十字架に架けら…