1月20日(水) コリントの信徒への手紙一 13章1-7節 音声を再生できませんでした 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。コリントの信徒への手紙一 13章4節 愛とは 私はかつて、愛というものを、ケーキの様な、甘く柔らかくて、ふんわりとした、スイートなものだと思っていました。 けれども、聖書が語る愛は、いきなり「愛は忍耐強い」という言葉で始まっています。ここにはスイートのかけらもありません。ねたまない、自慢しないとありますが、ねたまない愛などあるのでしょうか。愛があるからこそねたみ、自慢したくなるのではないでしょうか。しかし、それらのことすべては、聖書が語る愛においては否定されています。 森有正という哲学者は、「愛はその本性から言って悲劇的なものである」と言います(『森有正エッセー集成5』ちくま学芸文庫)。そこで主イエス・キリストの十字架が考えられていることは明らかです。 この御言葉にある愛は、主イエス・キリストの十字架にこそ見いだせます。自分の幸福などみじんも考えない、もう自分のことなど頭になく、相手の幸福しか見えない。そういうがむしゃらさで、御自分のすべてを、その命をもささげ尽くしてくださる主イエス・キリストの愛。愛とは何か。この問いへの答えが、ここにあります。 吉岡 契典(板宿教会)
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私はかつて、愛というものを、ケーキの様な、甘く柔らかくて、ふんわりとした、スイートなものだと思っていました。
けれども、聖書が語る愛は、いきなり「愛は忍耐強い」という言葉で始まっています。ここにはスイートのかけらもありません。ねたまない、自慢しないとありますが、ねたまない愛などあるのでしょうか。愛があるからこそねたみ、自慢したくなるのではないでしょうか。しかし、それらのことすべては、聖書が語る愛においては否定されています。
森有正という哲学者は、「愛はその本性から言って悲劇的なものである」と言います(『森有正エッセー集成5』ちくま学芸文庫)。そこで主イエス・キリストの十字架が考えられていることは明らかです。
この御言葉にある愛は、主イエス・キリストの十字架にこそ見いだせます。自分の幸福などみじんも考えない、もう自分のことなど頭になく、相手の幸福しか見えない。そういうがむしゃらさで、御自分のすべてを、その命をもささげ尽くしてくださる主イエス・キリストの愛。愛とは何か。この問いへの答えが、ここにあります。