罪の赦しを求めて | 詩編 130編

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詩編 130編

わたしは主に望みをおき
わたしの魂は望みをおき
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 130編5節~6節

罪の赦しを求めて

「深い淵の底から」嘆き祈り「主に望みをおく」という祈りは、さまざまな試練にあるとき私たち誰にとっても身近な祈りです。そして「主に望みをおく」ということは、「御言葉を待ち望む」こととひとつです。きょうはその待望の御言葉が与えられる主の日です。自分が抱える「深い淵の底から」御言葉を求め、聖書を開きます。

ところで、この詩編作者の固有の「深い淵」は何でしょうか。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、誰が耐ええましょう」と語り、「あなたのもとに」ある「赦し」を待ち望んでいます。詩編作者は、「罪」の淵の底から御言葉を求めています。

「見張りが朝を待つにもまして」切実に「赦し」と「慈しみ」を期待する罪人。それは主を十字架につけてしまった直後の弟子たちの「淵の底」の姿と重なり、私たちに通じるものです。その弟子たちの肉声のように私たちにも「イスラエルよ、主を待ち望め」という言葉が届きます。

「主はイスラエルを、すべての罪から贖ってくださる」。そのことを切望して神に向き合うことこそ、私たちに必要な礼拝の姿勢です。

赤石 純也(伊丹教会)