友を真理で切り捨ててよいのか? | ヨブ記 26章

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ヨブ記 26章

だが、これらは神の道のほんの一端。
神についてわたしたちの聞きえることは
なんと僅かなことか。
その雷鳴の力強さを誰が悟りえよう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 26章14節

友を真理で切り捨ててよいのか?

ビルダドの「どうして、女から生まれた者が清くありえよう」(25章4節)との言葉は真理であり、無罪を確信するヨブの心を激しく打ちました。

ヨブはたまらずビルダドの発言をさえぎって口を開きます。「あなた自身はどんな助けを(わたしのような)力のない者に与え、どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。どんな忠告を(わたしのような)知恵のない者に与え、どんな策を多くの人に授けたというのか」(2、3節、補足筆者)。

ビルダドはヨブを無視して神の支配を語り続けます。「亡者たち、陰府の淵に住む者たちは、水の底でのたうち回る。陰府も神の前ではあらわであり、滅びの国も覆われてはいない。…神は御自分の雲を広げて、玉座を覆い隠される」(5~9節)。最後には「だが、これらは神の道のほんの一端。神についてわたしたちの聞きえることは、なんと僅かなことか」と語って議論を終えています。

ビルダドは、あなたは分かっていないとヨブを切り捨ててしまいます。友を真理で切り捨ててしまってよいのでしょうか。

西田 三郎(新居浜伝道所)