神との和解から人との和解へ | フィレモンへの手紙

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フィレモンへの手紙

だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィレモンへの手紙 17節~18節

神との和解から人との和解へ

オネシモのように逃げた奴隷は、当時のギリシア・ローマの社会の中で、誰からも庇護を受けられませんでした。オネシモは本当に困りました。逃げたことで非常に傷つきやすくて、脆い人間になりました。実は、主人のフィレモンがオネシモを見つけたら、彼を殺す権利を持っていました。ですからパウロもこの命に関する問題に関わりました。

奴隷オネシモは、使徒パウロの良い影響でイエス・キリストに出会って、回心していました。パウロは彼の協力者フィレモンに、オネシモをただの逃亡者としてではなく、キリストにある兄弟として新しく見なした上で、改めて受け入れるように、手紙を書いています。

パウロは、「神は、キリストを通して、わたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けにな」ったと語ります(2コリ5章18節)。神との和解は、キリスト者を人との和解の奉仕へと誘います。神は和解の言葉を私たちにゆだねられたのですから、私たちは、そのメッセージを実践し、世に伝え、世に和解をもたらしましょう。

ステファン ・ファン・デア・ヴァット(神戸改革派神学校)