父なる神の、キリストによる統治 | エフェソの信徒への手紙 1章

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エフェソの信徒への手紙 1章

神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 1章22節

父なる神の、キリストによる統治

『ハイデルベルク』は私たちに「この方(昇天し、神の右に座されたキリスト)によって御父は万物を統治なさるからです」と教えています。

エフェソの信徒への手紙1章15~23節は、使徒パウロの祈りです。彼は感謝と執り成しの祈りをしつつ、父なる神が、キリストを天においてご自分の右の座に着かせられることで、万物をご支配なさることを教えています。キリストが死人の中から復活し、昇天し、神の右の座につかれたのは、万物をキリストの足もとに服させるためであったと。

万物を支配なさるキリストが、私たちの教会の頭です。この世の荒波の中でキリストの体である教会は、迫害の嵐に遭い、苦難に遭います。しかし、教会は、父なる神より天地の一切の権能を与えられた教会の頭であるキリストとの豊かな交わりと平安と慰めの中に生きることを許されています。

「福音に生きる教会は、キリストの命が通う一つの体であり、互いに配慮しいたわり合う牧会的共同体である。一つの部分が苦しめば全体が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば全体が共に喜ぶ」のです(70周年記念宣言)。

足立 正範(上諏訪湖畔教会)