信仰によって生きる | ハバクク書 2章

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ハバクク書 2章

「見よ、高慢な者を。
彼の心は正しくありえない。
しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ハバクク書 2:4

信仰によって生きる

パウロは、ハバクク書を引用し、「正しい者は信仰によって生きる」と語っています(ロマ1章17節)。ハバクク書に出てくる信仰(エムナ)は、真実、偽りのない、という意味です。「真実の神」という場合にも用いられます(申32章4節)。神が真実であられるから、私たちはその神を信じることができます。信仰によって生きることができる根拠は、神の真実さにあります。

「正しい」という言葉は、「義人」とも訳されます。人間は自分の目に正しいと思うような相対的な義を持っています。しかし、この世には神のみが認める絶対的な義が存在します。自分の信仰の熱心さは相対的なものですが、神が神を信じる者を義と認めてくださるとは、神の絶対な義の表れです。また神の義を受け取る信仰も神からの賜物です(エフェ2章8、9節)。

罪と全く関係のない神の御子を私たちの代わりに罪人とされたのは、主イエスによって私たちが神の義を得ることができるためでした(2コリ5章21節)。たとえ神のなされる業が理解し難くても、信仰義認とは、神はご自身を信じる者を守り、必ず生かしてくださるという恵みの教えです。

金 度亨(小倉伝道所)