捕虜収容所における礼拝と洗礼 | コロサイの信徒への手紙 3章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コロサイの信徒への手紙 3章

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。…これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 3章12節~14節

捕虜収容所における礼拝と洗礼

牧師であったわたしの祖父(片山弘二、享年94)から戦争体験を聞いてきました。祖父はフィリピンで敗戦を迎え、投降し、捕虜収容所に収容されました。クリスチャンであったがゆえに山下奉文大将などの絞首刑に立ち会う経験もしました。収容所では米軍の従軍牧師によって日曜礼拝が行われ、日本人捕虜への伝道もなされました。罪を悔い改めて神を信じ信仰に導かれ受洗に至る者も多くいたと聞いています。戦争中に犯した罪ゆえに神の御前で自己の原罪を深く自覚するに至ったのでしょうか。その一方で、受洗しておけば戦犯裁判において有利な判決が出るという噂から洗礼を受ける者もいたといいます。

互いに敵対して戦った日本人とアメリカ人。捕虜収容所という特異な場における罪の告白と洗礼。受洗者はどのような思いだったのでしょうか。和解には罪の自覚と悔い改め、そして赦しを請うことが前提となります。私たちは主イエスの十字架によって罪赦された者として、その恵みに感謝しつつキリスト者としての和解の務めに励み、戦後世代の平和責任とは何かを考え続けたいと思うのです。

豊川 慎(宣教と社会問題に関する委員会)